a Meteorite mini

ただの日記

この世界の片隅に

この世界の片隅に

この話は嘘に塗れている。「浦野すず」なんて人間はこの世に一瞬たりともいたことはなかったし、「北條周作」という男も、家族も存在していなかった。つまり嘘である。だが呉という街は今も、戦艦の街として存在している。そして、70年前には戦争があった。多くの人が死んだ。それは嘘ではない。幾度も戦火に晒された。

「上手い嘘というものは、少しの真実を混ぜる」のが基本というものだ。この話が嘘にもかかわらず、「浦野すず」という嘘を真実だと思わせてしまうのは、その「真実の分量」が少しどころではないからである。

広島の街並み、呉の佇まい、当時の街並みから今も存命の方々からの記憶、資料に史書。エトセトラエトセトラ。圧倒的な真実が嘘を嘘だと思わせない。多くの真実に埋もれた嘘はまさに生き生きと、真実の中で物語を紡ぎ出す。そしてこの現代まで伝えられた戦争という哀しみを、無残さを、寂しさと人々の想いを、この映画は突きつける。そういう時代があったのだと。そんな人々が生きていたのだと。そんな人々と今の私たちは地続きで繋がっているのだと。

「ありがとう。この世界の片隅にうちを見つけてくれて」

ああ、そうだ。

この女性を見つけたのは僕たちだ。